北欧エストニアに廃墟が多い訳
エストニアの歴史は複雑だ。何しろ小さな国、1918年に独立しているが、それ以前は、ドイツ騎士団に始まり、デンマーク、スウェーデン、ロシアに侵略された。ロシア帝国からの独立後もナチスドイツやソ連の侵略を受けることとなる。エストニアの独立が回復したのは、ソ連崩壊後の1991年の事だ。エストニアの街を歩いていると、来るものを拒ばなかったおおらかさ?と共にアイデンティティを失わなかった強さを感じる。この建物もそのひとつだ。
この廃墟は、バルティックレイルウェイ(バルトレール)の工場跡だ。世界遺産にも登録されている旧市街に隣接する中央駅から歩いて僅かなところに位置する。中央駅ができたのは1870年のこと。このレール工場も時期を同じくして設立されたに違いない。
エストニアでは、こうした一等地?が手を付けられずに数多く残っている。ただ、それは時間の経過とともに風化するのを待っているわけではない。今この場所は、テリスキビ(エストニア語でレンガのこと)クリエイティブシティとして新しい使命を負っている。
外から見れば廃墟にしか見えない建物の中には、デザインショップ、カフェなどがある。そこで制作しその場で売っているようなクラフトマンショップも多い。小さく仕切られた部屋はオフィスとして使われ、夜になれば階下から音楽のライブの音が聞こえてくる。
ここにいると、レールに耳を当てれば力強い列車の音がかすかに聞こえるような、そんな静けさとバイタリティが感じられた。