エストニアで発見したソ連時代のクルマがカワイイ理由
今でこそ、E-Estoniaとして ITの先進国入りしたエストニアですが、1940年から1991年まで(うち41年から44年はナチスドイツ)は、ソ連に占領された地域でした。独立回復から20年以上経った今でも建物を始め、ソ連時代の遺産を見ることができます。第二の都市タルトゥで、思いがけずソ連時代の車を発見しました。
クルマの内部はシンプルです。こうした車を見ると、車が走るためには、これだけの装置でいいのだとわかります。鉄板をそのまま感じられるのは、今ではミニマリズムによる先端的なデザインとも受け取れます。
ナンバープレートがついているので、今でも街中を走ることは可能です。赤い星が誇らしげに感じられ、ソ連時代の大衆車として人気があっという話も理解できます。ナンバープレートと星の間に斜めに付けられたロシア語の文字が見えます。
エストニアの友人が、これは、Zapazhetsというクルマだと教えてくれました。ウクライナ(といっても当時はソ連)にあったZAZという会社が、1960年代に製造したもののようです。おそらくZAZ-965Aというモデル、1969年に次のモデルにその地位を譲るまで、ソ連や今の東欧では誰もが知っているクルマでした。
リアエンジンのクルマは、Fiat600を模して作られたものです。当時は市場の3割ほどがこうした小型車が占めており、決して楽とは言えない時代にちょっとした楽しさをもたらしてくれたに違いありません。とはいうものの初代のモデルは、30000キロも走れば、オーバーホールが必要であり、クオリティはFiatには遠く及ばないものでした。
エストニアでは、ソ連時代の遺産を新たな観光スポットにしようとする動きがあります。ソ連時代を知らない年代が増えてきているせいか、過去の苦い思い出さえ、今の発展の為の材料にしてしまいます。数度の侵略を受けてもエストニアとしてもアイデンティティを失わなかったエストニア人のしぶとさは、このクルマにも現れています。